13年11月13日
その4
"高千穂神社"
国史見在社である高智保皇神の比定社ではあるが確実は証拠はない
国史見在社とは六国史に記載のある神社のことで格式高い神社として後世になって特別視されたもの
六国史とは日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後紀、日本文徳天皇実録、日本三代実録のこと
高智保皇神は869年編纂の続日本後紀にその名を残すが延喜式神名帳に記載はなく、とかく謎の多い神社
創祀・創建は紀元前
神武東征に同行し途中行方不明となった三毛入野命がこっそり高千穂に戻って高千穂皇神を祀ったのが始まり
サイキック系ヤクザの鬼八をフルボッコにした神ね
やがてその三毛入野命を始めとする十社大明神が配祀され、垂仁天皇の時代となって初めて社殿が創られたそうだ
垂仁天皇ですよ
皇紀632年、西暦前28年に生まれて140歳で崩御したあの垂仁天皇ですよ
どれだけ古いか分かるでしょ?旦那
ともあれ、この地を代表する神々を広く祀るこの神社は多くの人々から崇められることとなる
平安時代には高千穂八十八社の総杜となり、鎌倉時代には源頼朝に手厚く保護される
1873年に三田井神社と改称するも、1895年に現在の高千穂神社と改められる
1906年には勅令により荒立神社等を合祀し、県社、村社を経て、現在は神社本庁の別表神社
主神は上記の経緯から高千穂皇神と十社大明神とする
高千穂皇神とは日向三代と称される皇祖神とその配偶神のこと
天饒石国饒石天津彦火瓊瓊杵尊と木花開耶姫(このはなのさくやびめ)
天津日高日子穂穂手見命(あまつひこたかひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめ)
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)と玉依姫尊(たまよりびめ)
分かりやすく言うと神武の父母、祖父母、曽祖父母だぬ
天皇家の直接の祖先ですよ、ええ
十社大明神とは三毛入野命とその妻子神のこと
三毛入野命、鵜目姫命(うめひめ)、御子太郎命(みこたろう)、二郎命(じろう)、三郎命(さぶろう)
畝見命(うねみ)、照野命(てるの)、大戸命(おおと)、霊社命(れいしゃ)、浅良部命(あさらべ)の10柱
よく分からないけど、やりたい放題って感じが(笑)
神社整理により合祀されたのは、事勝国勝長狭神(ことかつくにかつなぎさ)=塩土老翁(しおつちのおじ)
大年神(おおとしのかみ)、稻飯命(いなひのみこと)、彦五瀬命(ひこいつせのみこと)
神日本磐余彦尊=神武、猿田彦命、天鈿女命
参考までにね
尚、大年神は日本書紀に登場しない
しかしあれだなあ
おれって歴史を簡素にまとめるのがうまいなあ
上に書いたこと、実はかなりの長文をまとめてるんだぜ?
文才あるのかも
え? ぜんぜん分からなかった?
まあ、君たちならしょうがないね(嘲笑
で、この石段を上った先に社殿があるわけだが、ビミョーに左を向いてるのが分かる
これには理由があって、神々、つまりご神体を直視することは失礼に当たるから
参道の中央を歩いてはいけない、というルールも同じ理由によるもの
その昔、天皇陛下や将軍様のお顔を拝見してはいけなかったでしょ
あれと同じだす
一般ピーポーは偉い人のお顔を直接見てはいけないのさ
尚、神社本庁は神社建築について具体的な規則は設けていない
だから最近ではこうした暗黙のルールを守らない神社建築も多くなってきた
そういう神社では堂々正面に対峙してよし
【補足情報】
高千穂神社の社殿が僅かに左を向いているのは上記と異なる理由があることが分かった
ひとつは「帰り道で神様にお尻を向けてはいけないから」
もうひとつは「社殿が四皇子峰を向いているから」
四皇子峰とは、神日本磐余彦尊=神武天皇とその兄弟神4皇子の生誕地
なるほどー
高千穂町観光協会のT波H子さん、どうもありがとう
拝殿及び本殿を正面から撮影したもの
この距離なら内部が見えないから問題ないと判断
この社殿は1778年も建造されたもの
梁間2間の五間社流造銅板葺で、国指定の重要文化財
拝殿の左右に設置されているのが鎌倉時代に源頼朝が奉納した鉄造狛犬一対
同時代の木彫のものと比較しても遜色のない逸品で、これも国指定の重要文化財
拝殿の隣りにはこんなものが
"夫婦杉"
根元が一つになって如何なる事があっても別れられない形をしてることからこう呼ばれることに
木の周囲を手を繋いで3回廻ると夫婦円満・家内安全・子孫繁栄の3つの願いが叶うと云う
わし関係ないし
そのすぐ近くにあるのが樹齢800年の"秩父杉"
源頼朝の代参・畠山重忠が植樹したそうな
で、右にぐぐーっと回って本殿
左に幣殿も見えるね
回廊にある脇障子は三毛入野命が鬼八を退治したシーン
高千穂皇神より十社大明神のほうが信仰を集めていたと言えそうな彫刻
地元のスターなんだろうな
"鎮石"
面倒なので現地の案内板を転記する
第十一代垂仁天皇の勅命により我国で始めて伊勢神宮と当高千穂宮が創建せられた際用いられた鎮石と伝えられます。
尚住吉、関東鹿島神宮御社殿御造営の際高千穂宮より鎮石が贈られ同宮神域に要石として現存しています。
またこの石に祈ると人の悩みや世の乱れが鎮められると言われています。
もちろん鹿島神宮ではそんなこと言ってまへん
延喜式神名帳ではあちらは官幣大社でこちらは無記載
相手にされていないという印象(笑)
"神楽保存館"
ここでは毎晩20時より1時間、観光客向けの神楽が演じられている
高千穂の夜神楽のうち代表的な4番をダイジェストで公開しているそうだ
11月の「神話の高千穂夜神楽まつり 」では2日にわたり全33番が奉納される
と、これで高千穂神社レポは終了
実は境内には稲荷社や(合祀した)荒立神社、四皇子社等々あるのだが
ガイドさんがお疲れの様子だったのでね
せっかく楽しい時間を過ごさせてもらったので、じゃあこのへんでと、大人の対応をしたのさ
ちょっと後悔してるけどねー
でもほんと、よかったと思うよ
このプランに参加して
やっぱ往復のバスと2時間弱のタクシー観光で5900円は破格だと思うわー
昨日の天草なんちゃらは1000円でも高いと思うけど
それもこれも、この人によるところが大きいかな
固い握手でお別れしたもん
短い時間だったけど、おっちゃんありがとう!
いつも言ってることだけど、旅ってのは人との関わり方でどうにでも変わるんだよな
思えば昨日のアレ、従業員の態度もよくなかったもの
いらっしゃいませも、お疲れさまもなかった
乗船中はずっと音声が流れてて、よく考えたら一言も口を利いてないや
それじゃあダメ
この宮交タクシーのスタッフのように、おもてなしの心ってやつがないと
滝川クリトリス大嫌いだけど
もっとも、それ以前の問題として
あの天草なんちゃらは違法の可能性があるからね
産交さん、しっかりしてくれよなー
またお前か
うーん、同じ運転手さんのような気がするなあ
旅客自動車運送事業運輸規則に抵触しないのだろうか
ダイヤ上はセーフっぽいけど
激務だなあ
ともあれ、バスは走る
途中ウンコ休憩を挟み
再春館の無駄遣いを横目に
バスはひたすら走る
着いたー
09時22分の出発からジャスト10時間、19時21分、熊本交通センターに到着
もうヘロヘロっすよ
じゃ、ちょっと飲もうかね
昨日も言ったけど熊本市のアーケードは西日本最大の規模を誇る
広すぎて逆に不便
何百メートルも歩こうとは思わないもんなあ
メシを食うくらいで
そんなわけでホテルから最も近いこの店で軽く一杯やることに
ふく泉という、そば&うどん屋
ここね
いくら疲れてるとはいえ、もう少し市内を歩くべきだったか
そのうちまた来ると思うけど
いちばん手前のカウンター
ドアが開くたびさみーのなんの
晩酌セット
アルコール1杯+刺し身+枝豆+選べる1品で1280円
だったと思う
メニューとか撮影できる場所じゃなかったのでね
こ、これで合ってるのかな
左にずいぶんスペースがあるけど
間違い探しじゃないよね?
これで合ってるんだよね?
鶏の唐揚げを選んでみた
(どんな料理から選べるのかすら覚えてない)
ふつー
お酒(350円)
ぬる燗って言ったのに熱燗が出てきたの巻
天ぷら盛り合せ(680円)
ちょっと割高感があるなー
うーん、この店もイマイチだなー
これでお会計にしよう
うどんもそばも出す店は、うどんもそばもうまくない
常識だもんね
あーあ
今回の旅はロクなもの食わなかったなー
みろく苑の皿うどんくらいか
これはうまいと思ったものは
ま、もともとグルメが目的じゃなけど
日ごろもいいもの食ってないし(笑)
しかし長い1日だったなあ
その割りにレポが短いのは悔しいなあ
短いといっても昨日や一昨日と比べてだけど
最近どんどんレポが肥大化してる
画像800とか1000とか当たり前になってきたもんな
公開も旅から2ヶ月後がデフォだし
もうちょっと簡素なレポにしたほうがいいのかな
見るほうも大変だろうし
てか、公開はせめて1ヶ月以内にしないとな
セッティング完了
本日の移動距離:約205km
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