13年09月03日 その2
それにしてもキツイ
ホムセンで8000円くらいで売ってるチャリンコだから車体が重いのなんの
歩いたほうがマシというレベルのキツさ
下り坂がマンモスうれピー
あーしんどかった
チェンジでござる
あんなチャリじゃ秋葉神社まで行けないもんマジで
お金がどうとか言ってる場合じゃない
マメも潰してるし、あんまし動くとジーンズが裂けるし
そんなわけでリスタート
おー快適じゃー
JA北大東 ATMもあるでよ
北大東小中学校
北大東村役場
同じ敷地に北大東村消防団
北大東駐在所 1人のおまわりさんが退職まで勤め上げるのかなあ、やっぱり
それにしても道路がよく整備されてるなあ 街並みも南大東島より整然としてる
というのも、この北大東島、南大東島よりお金持ち 1人当たりの平均所得は396.8万円と沖縄県内でぶっちぎりの1位 にもかかわらず歳入の81%が依存財源だったりするのが承服し難いところだが・・・ ま、依存体質については宮古や八重山も同じだけどね
ではなぜこの北大東島が傑出した平均所得を得ているか それは役場が率先して農業とかかわり、徹底した管理栽培によって土地の生産性を高めているから 農家、農協、役場、製糖会社と、4者が蜜に連携し、島を挙げて生産力向上に取り組んでいるわけ その結果、さとうきび栽培における北の単収は南の2倍にも及ぶというから驚く
更に北では馬鈴薯やカボチャ等の換金作物を栽培している さとうきび専作では所得の安定が難しいから これは補助金に依存する農業からの脱却を目指していると言っていい めっちゃ頑張ってるわけ 土地も人口も南の1/3程度でしかないのに、平均所得1000万を目指して日々研鑽してる
そういう島はついつい応援したくなるよね 今に見てろよ、という気概が感じられるもの
さあ、見えてきたぞ
秋葉神社 火の神を祀り、無病息災を祈願する神社 1983年に八丈島から遷座したもの 南北の大東島にはそれぞれ3つの神社がある 大東神社と金毘羅宮、そしてこの秋葉神社だね 大東神社は天照大御神が、金毘羅宮は大物主命が、秋葉神社は火之迦具土大神が主祭神 本土と変わらぬ神事を行っていることが八丈島の影響を多分に受けてきた証となっている 尚、画像の鳥居は"一の鳥居" 右に曲がるとニの鳥居があり、その向こうにコンクリート製の小さな小さな祠がある 一の鳥居と二の鳥居の間には相撲の土俵があるというから驚き ここは完全にヤマトンチュのための施設なんだね ちなみに今回はこの先へ進まないことにした 本土の神と沖縄の神とを同時に訪問することに抵抗があって よって画像はありまへん
これが天狗岩 しょべえwと思った人、バチが当たるよ〜 実はこの天狗岩、以前は今より遥かに巨大だったそうだ ね どうやら飛行場(1978年開港)を建設するとき多くを削ったらしいんだ なんてひどいことを ある筋から聞いたところ、そのあといろんなことが起きたらしい そうか、だからか 5年後の1983年に火の神を祀る秋葉神社がここに遷されたのは
で、裏に回るわけだが このアスファルドは興ざめするね いらっしゃいまし〜って感じ
シダ類きめええええええええええええええ
虫もたくさんいるううううううううううう
さあ、ここだ ここが阿摩美姑(アマミキヨ)の光臨した場所だ 名もなき拝所だけど、まるで御嶽だよね でもここは八丈島の文化を基礎とする大東諸島 御嶽とされないのも無理はない
しかしこの情調は確かに御嶽のもの 沖縄各地から祝女やユタと云った神人の末裔が集うのは ここを始祖神・阿摩美姑(アマミキヨ)が光臨した場所と信じて疑わないからだろう
興味深いのが、この巨岩に天狗岩という名称が付いてること 日本では古来から天狗を神の化身とする考えがある また、天狗=異国人いう考えもある これって阿摩美姑(アマミキヨ)伝説そのものだよね
そしてもうひとつ、帰宅後ググって驚いたことがある 先に紹介した秋葉神社の総本山は秋葉山本宮秋葉神社でその主祭神は火之迦具土大神だが 江戸時代の神仏分離以前は秋葉三尺坊と観音菩薩を祀っていたことが分かっている 秋葉三尺坊は実在の人物とされ、修行の末に不動明王の行法を修め 天狗となって秋葉山に納まり、観音菩薩の護神になったと云われている そう、この天狗岩を秋葉神社が鎮めているのには合理的な理由があるわけさ
天狗を中心にまとめるとこういうこと 天狗(神/異国人)がこの岩の上に出現した(光臨した/渡来した) 人々はこの岩を天狗岩と名付けた 島に災いが続いたとき、人々はここに天狗を祀る秋葉宮を建立した
よくできたお話だよね いや、おれの子供じみた勝手な解釈かも知れないけど でも、どうにでも答えを導き出せる神話があるって楽しいよね
もっともこのお伽噺もごく最近創られたと見ていい この島の歴史はまだ僅か110年だから
たとえ本島の神人たちがこの島の存在を予知していたとしても 天狗岩のことなど知る由もなかったろう
でも、人々がニライカナイを想定したこの島 20世紀まで無人だったことは紛れもない事実だからね
この北大東島が神々の住まう場所でもいいんじゃないか 島民にとっては永遠の理想郷かも知れないし
あ、空港だ
金さえあればこっちだなー
貧乏は罪
ちなみに那覇⇔北大東で初めて定期便が就航したのが1978年 フェリー(協栄丸)が1975年だから、それ以前はまさに絶海の孤島
米軍統治下だった時代を含め、島民の苦労は絶えなかったと思う
たとえば電話が開通したのは1979年
簡易水道が完成したのは1985年
テレビ放送が始まったのは1998年 辛うじてラブマが見れたわけ
凄いという言葉しか見つからないよ 島民のみなさんの忍耐力
彼らにとって得がたい故郷ではある が、この島にとどまる理由を見つけるのも難しかったはず
おれなららとっくに逃げ出してると思うな〜 おらこんな村いやだ〜♪って
故郷ってのはそんなものじゃないのかも知れないけど もっとこう、代え難い何かがあるのかも知れないけど
おれはそのへんどうも希薄なんだよな 経路
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